人間、50年も、60年も、70年も、生きていれば、誰しもこれまでの人生の中で、やり終えた仕事、今真っ只中の仕事、やり残した仕事が有るのではないでしょうか。

自分にとって、自分の人生を掛けて取り組まなければならない仕事とは、どのような仕事なのでしょうか。

人は、それぞれ違った人生を歩み、これからの人生も違ったものになります。

好むと好まざるとに関わらず、生きている以上、客観的に自分自身を振り返り、自分自身を見つめ直し、考えてみる時期が有ってもしかるべきだと思います。

一生は長いように感じますが、自分の意志を持って、自分の為に生きる人生は、思っている以上のスピードで、瞬く間に過ぎ去っていきます。

この先(人生の終着点=死)が見えてきた時こそ、自分を考えてみるチャンスだと思います。

3回に分けて、やり終えた仕事、現在真っ只中の仕事、やり残している仕事、について私なりの経験を書いていきたいと思います。

 

たとえば私自身の場合だと・・・

今までにやり終えた仕事は、2つあります。

1つ目は、130年以上の長い時間続いてきた家業としての商売を無事に終わらせることが出来たことです。

大学を卒業し、社会に出てから就いていたエンジニアとしての仕事を諦め、実家の家業の跡継ぎになりました。

長男が家を継ぐのが当たり前の時代でしたから、そのこと自体に対して違和感は有りません。

ただ今の時代、家系よりも、その時代時代を生きる個人を尊重する時代ですから、自分の子供が生きる人生は、子供本人が責任を持って決めれるような土台を作らなければならないと思います。

それが基本的な考えとして、私の代で家系として続いてきた商売を廃業することを考え、無事に清算する事が出来ました。

色んな迷い、苦悩、葛藤有りましたが、全ての負債を清算し、無事に家業を畳むことが出来たのは運が良かったと思っています。

 

2つ目は、妻の死・伴侶の死というショックから曲がりなりにも立ち直りかけているということです。

妻の存在は、私の存在価値そのものでした。

自分の全てを奪われたような気がして、ここまで来るのに20年という長い時間を費やしました。

事有るごとに、色んな場で、常に、妻の面影を探しながら今日まで生きてきました。

子育て、家業の商売、加齢・・・の中で、精神的に苦しい時に、常に私を支えてくれたのは、妻の面影でした。

私には、妻の面影しか頼れるものが存在しませんでした。

でも、一人で育てて来た子供が巣立ち、そのタイミングで家業として続いてきた商売を無事に清算することが出来たことで妻の面影が徐々に遠ざかって行きました。

子供の育児、商売のストレスから子供を道連れに心中しようとした時期、躁鬱になりかけて全てを失いかけた時期、今までの人生で苦しかった時を支えてくれた妻の面影が消えようとしているのは、「そろそろ自分の為に生きて行きなさい。」と、妻が教えてくれているのかも知れません。

「妻の死」を受け入れるようになれたことが、私のやり終えた大きな仕事の2つ目だと思っています。