やり終えた仕事1に続き、私にとって、今、真っ只中の仕事は、子供が成長するのを手助けして、父が居なくなっても一人で生きて行ける成人として送り出すことです。

伴侶と死別したことによる心の不安定や不満・絶望感、感情の起伏や、亡くなって急ぐようにオープンさせた新店舗の経営不安などから、私はストレスをまだ幼かった子供に向けてしまいました。
その結果、子供が子供なりに発信する子供の主張を大人の正論で抑え込んでしまう結果となり、子供は殻を被るように育ってしまいました。
子供が中学生、高校生と成長するにつれ、子供の意見を聞こうとしても、黙りこくってしまい何も意見を言わない子供に育ってしまいました。
自分の意見を言うと、お父さんに上から大人の社会常識とかで押さえつけられ、イヤな思いをするだけだから、無口になることが自分の身を守る方法であると考えたのだと思います。

のびのび、褒められて成長して行けなければならない幼少期を上手に過ごさせてやることが出来なかったのは私の責任であると思います。

そのような子供ですが、近年になり一歩を踏み出しかけているように感じます。

親としての責任は、子供が大学を卒業し、自分の進路は自分で決めて、社会人になるまでと決めていた私ですが、先日、大学院に進みたいという子供の考えを聞きました。
大学院の学費、生活費など、子供の生活を支える親の立場からすると、還暦の定年を迎え金銭的に大変だ!と思う反面、自分の意見を私に対して言ってくれるようになったことは子供の成長の証であるかなとも考えています。
そこまで親が全面的に子供を支えることは無く、ある程度子供にも苦労をさせて方が良いという考え方もあるとは思いますが、私は、私が出来ることはやり、子供の人生を支えてやろうと考えています。
その期間が2年伸びましたが、自分にとって大きな仕事の内の2年だと思えば耐え、頑張らないといけないと考えています。。

そうした自分の意見を私に対して言ってくるようになったことも成長の証であると思っております。

一日一日という時間はとても長いですが、一年という時間は短いので、子供の成長を見守るという 私が現在取り組んでいる仕事が終わる日も先が見えてきたように思います。