家族
私は、この仕事を始めて、毎日のように京都府北部、福知山市近辺で孤独に生活する老人と出会い、また、離れて暮らすご家族の方たちと出会う機会があります。
老人になった親とその家族の方たち・・・
それぞれ、どのように思っているのでしょうか???
高齢になった親たちとしては、自分の動作や、物忘れ、耳が遠くなった、など高齢化による変化を理解し、自分自身が高齢の老人になった事を自覚している方が多いように思います。
自分は、まだ70、80歳だからまだまだ若いと考えられている方は極少数のように感じます。
高齢になった自分の事を心配し、子供たちは自分の事を呼び寄せてくれるのですが、そう簡単には子供の世話に成れない自分の頑固さを自分で理解している高齢者がほとんどです。
一人暮らし、高齢者だけの生活は不自由なはずなのに何でそうまでして頑なに今の高齢者だけの生活を守らなければならないのでしょう?
子供たちが生まれ育った自分の家に帰って来てくれる筈は無いのに・・・
この年になってから生まれ育った土地を離れる訳には行かない・・・
今から新しい所に移ったところで水が合うはずがない・・・
自分が居なくなったら、この家この土地は誰が守るのか・・・
子供たちのところに行っても、今更新しい土地で新たに生活など出来る筈がない・・・
子供たちも自分たちの生活を守るのが精一杯なのに、そこに自分が行って苦労を増やしてやりたくない・・・
身体の自由は聞かなくなって来たがまだ何とか生活は出来ている・・・
それに対し、離れて暮らしている子供たち家族はどのように考えているのでしょう???
お父さんや、お母さんの事は、もう高齢だし心配なのだけれど、だからと言って自分たちが親元に帰る訳にはいかない・・・
自分たちのところに呼び寄せても良いのだけれど無理に連れて来る訳にはいかない・・・
親たちが自分で頑張ると言っている以上、出来る所まで頑張ってもらって、その後の事はその時に考えるしかない・・・
自分たちの所に呼び寄せて上げたいけど、親を引き取って生活して行けるだけの余裕が今は無い・・・
自分たちも還暦を迎える年齢になって高齢に成りかけているのに、その自分たちが高齢の親の面倒を見るには無理がある・・・
高齢の親たちも、その子供家族たちも、それぞれの考えが有って、その組み合わせだから中々上手く行かないものです。
私が生活している小さな地方都市の中でさえも、同じ町なのに別々に生活している家族がたくさんおられます。
でも、たいていの場合、共通しているのは、一緒に生活できなくとも、高齢の親は子供たちの生活のことを心配し、子供たちは寂しく暮らしている親の事を心配しているということです。
そんな事を毎日見ていると、家族が一緒に生活することは出来ないけれど、家族はそれぞれ相手のことを心配してし合っている優しい心を持っているんだなと思います。
私は葬儀会社に勤務していた頃から、そんな家族の姿をたくさん見てきました。
そして、みなさん優しく相手を想う気持ちを持っておられる方ばかりでした。
ただ、私が葬儀会社に勤めていた頃は、そんな家族が相手のことを思いながらでも、通じ合う機会が無く、時間が過ぎ去り、不幸にも親たちが寂しく先立たれた家族の方たちでした。
残された子供さんたちは、決まってもっとたくさんの想い出を作っておけば良かった・・・
今となっては親を思い出すものは何も残っていない・・・
お父さんや、お母さんの元気な頃の姿が思い出せない・・・
自分たちが離れて生活している間、どんな気持ちで、どんな生活をしていたんだろう・・・
自分たちがもっと親のことを分かって上げていれば寂しい思いをさせずに済んだのに・・・
総じて自責の念に駆られる方が多いように思います。
時間は万人誰でも同じように過ぎ去り、誰もが年老いて行くと思います。
そして、必ず誰もがその時を迎えます。
それまでの間の時間を少しでも家族として何か共有できるものを作り、残したいと思います。
この”ふれあいネット”は、そのような理念のもとに運営させて頂いております。