最後に、私がやり残した仕事、これから取り組まなければいけない仕事は、2つ有ると思っております。

その一つ目は、、「やり残した仕事1」でも書きましたが、私が長年家業として続いてきた商売を廃業するとき、多額の借金が有り、とても無傷で全額返済できるとは思っていませんでした。
土地、株式、古物、保険積立、最悪今住んでいる家・・・などを売却して、お金に換金して、借金を返済しなければ廃業できないと考えていました。
ところが、幸運にも廃業作業が順調に進んだために家や土地、家宝として残していた古美術などの全財産を処分する必要が無くなったのです。
そのため、これらのものを清算しておいてやるのが、私が子供にしてやれる仕事の一つだと考えています。

子供とも、子供の将来について話した中で、私が若い頃そうだったようにエンジニアとしての道を進みたいと考えているようです。
子供が地元を離れエンジニアとして生活して行くのであれば これらの物は不要な重荷になるのは明白な事です。

これらの物は、有効に使える人が居て、価値が分かる人が居て、初めて財産になるものだと思っております。

子供の意見を尊重し、子供が思うように進んだ場合、それらの物は財産ではなく、負債に変わってしまうものだと思っております。

存在するだけで発生する固定資産税、費用や手間を掛け、手入れしていかなければ朽ち果てていく家、マニアでなければ価値を持たない古美術・・・

どれをとっても、活用できて初めて価値を持つものであって、活用できなければ重荷どころか負債に変わってしまうものだと思っております。

残しておいて判断を子供に委ねるという考えもあると思いますが、今から10年経っても子供はまだ31歳、還暦を迎えた私でも処分の方法を迷うような問題を30歳そこそこの若者に判断を委ねるのは負担が大きすぎるように思っております。

子供の進路によっては資産になるどころか、負担になりかねない問題は、私の時代の内に清算して、問題の先送りは避けたいと思います。

やり残した仕事の二つ目は、自分自身の終わりを如何に迎えるかの準備です。
家の処分を含め有形の財産の処分、また、自分の葬儀の在り方など、形あるものの整理は出来たとしても、自分の衰えの変化にいかに対応するかということが、やり残している仕事の2つ目になります。

認知症になり自分の判断が出来なくなった時に子供に迷惑を掛けないようにするために、今出来ることは何か・・・

ケガなどと違ってある日突然認知症になるのでなく、進行具合が自分で認識できない中で徐々に進行していき、それに備えていかに準備するかだと思っています。
大変難しい問題であり、人間は誰しも最期は誰かの助けを借りないと死ぬことは出来ませんし、「自死」の道を選んだとしても子供に与える心のキズが残ります。
たぶん、「孤独死」を選んだ場合においても子供の心にキズを残してしまうと思います。
でも、今、生きている以上、その日を迎えることを万人は避けて通ることが出来ません。
一番、子供の負担にならないような最後の時を迎えれる方法を考えることが私に残された仕事だと考えています。

これらの事を、「やり残した仕事2」で記述した仕事が終わったのちに考えて行きたいと思っています。
出来れば、65歳くらいまでに、タイムスケジュール、方法、周りへの影響などの結論を出すことを目標にしています。