平成元年、私が29歳の時に母が59歳で亡くなり、平成3年に結婚し、平成6年に父親が64歳で亡くなり、平成9年に子供に授かったものの、平成11年に妻が無謀運転のトラックに轢かれて亡くなりました。

母が亡くなった時には、これまで育ててくれ、いつも僕の味方をしてくれていた母でしたので寂しかったですが、傍に将来妻となってくれる彼女が居たので何とか自分を支えることが出来ました。
その当時は、実家から離れ会社員として彼女と一緒に生活していたので喪失感、絶望感が薄れたのかも知れません。

父が平成6年に亡くなった時には、すでに結婚もしており、会社員を辞めて実家の商売を引き継いでおりました。
商売、父と妻との間で、父との軋轢が強く、やっと嫌な思いをしなくてもよくなるという安堵感が有ったように記憶しています。

平成11年に家内が亡くなった時には、子供が1歳半でした。
声を掛ければ出て来るような気がするし、子供は一人で育てないといけないし、どうすれば良いのか全く分からずに途方にくれました。
子供を育てるのが辛く・・・
自分を支えるのが辛く・・・
自分で自分を支えるのがやっとで、周りに気を配る余裕なんて全くありませんでした。
死にたい、死にたい・・・
お母さん(妻)のところに行きたい・・・
毎日、同じ事ばかり考えていました。
町で同じ年くらいの女性を見ると、
「この人にはきっと旦那が居て、家の中では会話が有るんだろうな・・・」
スーパーで買い物をしている人を見ると、
「あぁ、この人には家庭が有るんだろうな・・・」
公園で子連れで散歩をしている夫婦を見ると、
「家内さえ居てくれたら僕だって同じように仲良く散歩できるのに・・・」

毎日、毎日、生きるのが辛かったです。
周りの人に対して、子供に対して辛く八つ当たりもしました。
子供の首を絞めて親子心中しようとしたことも有りました。
寂しさを紛らわそうとして夜に飲みに出かけたら まだ3、4歳の子供がお父さんを探して街中を探し回り、警察官に保護され、僕が家に帰ったら家の前にパトカーが止まっていることも有りました。
仕事のストレスを子供に八つ当たりして殴ったり、喚いたりしたことも数えきれないくらいたくさんあります。
子供はまだ小さくて何も出来なくて当たり前だのに、僕の思うように動かないと腹が立って酷い仕打ちをしました。
そのせいで子供はお父さんに自分の意見が言えない子供になってしまいました。
僕が話しかけても自分の意見を言わないから、また意見を言わないことに対して腹が立つことの繰り返しでした。
僕が、正論や理屈で押し通し、言葉に真心を込めずに押し通していたから、子供としても自分の気持ちを素直に吐き出せなかったのだと思います。
僕がそのことに気が付くまでに、自分で自分を振り返れるようになるまでに10年以上の時間がかかりました。

子供が高校生になったある日の事、子供に言われたことが今でも耳に残っています。
「僕、辛いから殺して。」
「自分で死ぬのは怖いから殺して・・・」
「僕が、何も言わず貝のようになるのは自分を守るため・・・」
大切な子供のはずなのに、家内が残してくれた最大の財産のはずなのに、僕は自分のストレスの捌け口を子供に向けてしまいました。

今では一緒に酒を飲める間柄になりましたが、子供が徐々に心を開いてくれるのに10年以上の長い時間が掛かってしまいました。

妻を亡くすこと、伴侶との死別は、自分の現在を失ってしまうものだと思います。
自分自身さえ分からなくなってしまうものだと思います。
今は、その子供とも仲良くなり、自分の心の中を素直に、心のある言葉で話せるようになりました。

親を亡くすことは、自分の過去を無くすこと。
妻や夫など伴侶を亡くすことは、自分の現在を無くすこと。
子供を亡くすことは、自分の未来を無くすこと。
だと思います。

また、自分の感情や気持ちを相手に伝える言葉や表情は、時として鋭い武器になるものだと思います。
自分の気持ちがいかにあろうとも、「四苦八苦」の中に含まれる「愛別離苦」だからと言って、その刃を外に向けることは自分本位な行動で有ると思います。

でも、伴侶と死別することは、心に決して消えることの無い刺青を入れるような辛い事であることは間違いのない真実ですので、もしそのような方が現われた時には心の中に溜まる泥を吐き出させる手伝いが出来るような人間になることが私の生きている間の使命だと思っています。

今は、諦めと惰性の中で生きています。
本来の自分はどこに行ってしまったのでしょうか?