僕の存在価値って何だろう?
今、生きている証って何だろう?

子供を育てること?
たぶん、それしか無いように思う。
でも、シニア目前になっても子供のこと以外に生甲斐が無いのはさみしい限りだ。

経営していた小売業を債務超過になるまでに無事に廃業出来、シニア目前で簡単に再就職できたのは喜ばしい事だが、大切なものを失ったような気もする。

妻と死別して販売の第一線を退いてからは従業員に営業を委ね、僕自身は幼かった子供を育てる主夫のようなものだった。
たまに店舗に出勤して社長と呼ばれても営業について中々口出しは出来ないし、下手に口出しをすると従業員の”やる気”を失わせることになる。
僕個人が債務保証をして、自分が経営する店舗だのに その店舗に僕の居場所はない。

結婚するまでは妻と2人で未来を生きて行ける環境を作ることが僕の生甲斐だった。
借金だらけの会社を背負う僕に妻を幸せにしてやれる自信は無かったが、妻と一緒に居れることが僕の幸せだったし、妻も僕と一緒に居れることが幸せだったように思う。
そんな夢を叶えることが僕の生甲斐だったし、僕が存在する価値だった。

親父の反対を退け、僕は妻と何とか結婚ができ、僕の親父と3人で生活を始めることが出来た。
親父が経営していた会社には多額の借金があり経営は大変だったが、僕は妻と2人で会社を盛り上げ安心して暮らせるようになることが僕の夢だった。
その僕たち夫婦の夢も2人して頑張ることで少しずつ叶い、生活も徐々に安定していった。
親父が亡くなってからは家庭内も平和で、会社も順調に推移し幸せな時間が続いた。

なかなか子供に恵まれなかった僕たち夫婦は、子供を授かるために不妊治療に苦労したが、それは夢に向かっての苦労であり決して精神的に辛いものでは無かった。
不妊治療のホルモン注射は大変だったが、子供を授かるという夫婦の夢に向かって努力し、当時は高額だった不妊治療の費用を稼ぐために商売も夫婦して一生懸命に頑張った。
その頃は、子供を授かるという夫婦の夢を叶えるために努力することが僕の存在価値だった。

頑張った甲斐があって大切な息子を授かった。
本当に嬉しかった!
58年間生きて来て、この前後5年間が何もかもが上手く行っていたような時間だったように思う。
その頃の僕は、店舗を繁盛させるために仕事を、妻は産まれてきた息子を健康に育てるために精一杯頑張った。
妻と子供が安心して安定して生活できるような環境を作ることが僕の使命であり存在価値だと思っていた。

ある日の事故で、僕にとって大きな存在感だった妻が突然亡くなった。

妻が亡くなる前は、妻の存在、子供の成長、店舗での商売の3つで僕の存在価値は満たされていたが、妻という大きな存在価値を失った。

その失った妻の存在という大きな部分を埋めようとして子供に必要以上に関わったり、商売でも妻を亡くした喪失感を埋め僕の存在感を出すために無茶な出店を行い損失を出して閉店に追い込まれた。

僕の心の中に占めていた妻の存在意義を埋めようとして必死にもがいたが、僕の心の中の妻の存在感は簡単に埋まるものでは無かった。
18年経っても埋まりはしないが、何とか薄まるまでに十数年の時間を要した。

十数年の時間を費やし、やっと僕の心が安定しかけた時に子供が大学進学で僕のもとを巣立っていく時期を迎えた。
そのこと自体は子供が成長している証なのだから喜ばしい限りである。
すべてを顧みず頑張って育ててきたからこそ巣立っていくのだといことは分かっている。

でも、子供が巣立って行くことで僕は僕の存在意義をまた一つ失ってしまった。
もちろん、これからは学費とか生活費とかの仕送りはしないといけないが、これまでのように身の回りの世話をしてやる事は出来なくなってしまう。
いつまで経っても僕たち父子は親子であることに変わりは無いが、これまでの親子関係とは違った親子の関係になってしまう。
子供は子供なりに一人の人間として自分で考えた人生を歩んで行くだろうし、親である僕はそれを見守るだけの存在になってしまう。
今までは親である僕が子供のレールを敷き、それに沿って子供が成長してきた。
横道に逸れそうな時には親である僕が修正してきたのだが、これからはそのレール自体を子供が敷き、子供自身が歩んで行くことになる。
その違いは非常に大きいと思う。
そうなると子供の心の中で親である僕に対する存在感は減少していくことになる。
人が成長していく中では大切なことであるが、親としては子供が離れていく喪失感が募り、親である自分の中で子供に対する存在価値が減少していくことを認めざるを得なくなる。

一つ一つ大切にしてきたものを失っていく中で自分の存在意義を失いかけているのが今の自分である。

僕は、僕を必要としてくれる誰かのために生きたい。

自分のための自分の人生なんてものは僕には必要ない。

僕を必要としてくれ、その人の役に立つために僕は生きたい。

僕は自分の存在価値をそのように考えている。

これから年老いて行く僕は、自分の存在価値を何処に見出せば良いのだろうか・・・