世間では、メディアも含め一般的な葬儀を執り行うための費用は、全国の平均相場として150万円~200万円掛かると言われています。
では、葬儀費用は、なぜそんなにも高額なものになってしまうのでしょうか?
葬儀を執り行うと、何に150万円もの費用が掛かっているのでしょうか?
私の住んでいる町では、火葬料は2万円であり、市民以外の方の火葬料にしても6万円です。
隣町では、市民の火葬料は1万円で、市民以外の方でも3万円です。
市営の火葬場だから市民以外の方が割高になるのは仕方ないとしても、それでも火葬料は6万円です。
市民以外の方でも火葬料はその程度なのに、なぜ通夜、葬儀となると100万円、150万円、200万円・・・となってしまうのでしょうか?
私は、昨年末まで葬儀会社の葬儀見積もり担当として多くの葬儀の組み立てを行ってきました。
その経験の中から、なぜ葬儀が高額になるのか、高額な葬儀費用を出さないと満足な葬儀を執り行えないのかを考えてみたいと思います。
私が葬儀の見積もりの仕事をしていた頃、葬儀の全体像についてご当家の方に意向を聞くと
「どうせ骨になるのだから・・・」
「そんなに費用を掛けれないから・・・」
「もう引退してるから・・・」
などの理由で、”家族葬”で十分と言っておられた方がかなりの割合を占めていたように思います。
逆に、賑やかな事が好きな人だったから華やかに送ってやりたいと言った親族の声を聞いたことは殆ど無かったように思います。
そのような中で、なぜご当家の方が「家族葬」という言葉を使うかというと「家族葬=安い」というイメージを持っているからだと思います。
でも、身内のみで執り行う家族葬と言っても、葬儀会社のイニシアティブの下に通夜、葬儀を組み立てて行くと、葬儀会社に支払う分だけで やはり100万円単位のお金が掛かってしまいます。
一般葬にしても家族葬にしても参列者が有るかどうかの違いで葬儀費用とは何ら変わりのないものになってしまいます。
現在の葬儀・通夜においては、参列者にお渡しする供養品は実際に使った分だけで、残った分は葬儀会社に全数返品できるシステムになっています。
家族葬にしても、身内だけだから少しくらい祭壇が小さくても良い、祭壇花が少しくらい少なくても構わないというところでしか費用を抑えることが出来なくなり、結果として家族葬であっても一般葬であっても費用的には変わらないものになってしまいます。
家族葬という言葉は、人生最後のセレモニーだから「葬儀=高額」が仕方ない、というイメージが世間にあり、世間が葬儀離れを起こし始めた時に葬儀会社が収益を維持するために生み出した言葉なのだと思います。
なぜ家族葬の方が安いというイメージを浸透させることが出来たかというと、家族葬は親族や近親者のみで執り行い、通夜、葬儀に参列する人が少ないので「少人数=安価」というイメージが定着したものだと思います。
家族葬として本来の意味で、本当に身内で、故人を偲びつつ、質素に見送って上げたいのあれば、火葬料としての費用に必要最小限な若干のものを足してあげるだけで心の籠った見送りをしてあげることが出来ると思います。
私は葬儀の見積もりをする上で、家族葬にしたところで格段に費用が安くなるわけではないことを説明しておりました。
ただ、身内が亡くなられたら葬儀の形を今風に変えてでも執り行い、見送って上げないと故人が可哀想だという説明を前面に出し見積もりに入っていました。
その上で従来の葬儀と変わらない祭壇、祭壇花、棺、納棺、霊安室・・・色々な費用が積み重なり、結果として高額なものになって行く、でも、費用を抑えたいという気持ちは十分に理解できるので不要なものは省いたことを説明し、ご当家や喪主の方に納得して頂いていたのですが、色々なものを項目ごとに算出する段階において
「必要なものだから・・・」
「やり直しのきかないものだから・・・」
「後で後悔することの無いように・・・」
という、定番の言葉を使用してご当家の方々を納得させていたのです。
ご当家の方々としては、その説明に不満を感じながらでも
”最期くらいは、最低限な形でもちゃんと見送ってやりたい・・・”
”ことの性質上、早急に事を進めなければいけない・・・”
”今更、葬儀会社を変更することは出来ない・・・”
”葬儀会社の方の言う事を聞かないと、ちゃんと送ってやれないのではないか・・・”
などの気持ちが芽生えて来て、やむなく納得せざるを得なかったのではないかと思います。
自営で商売を営んでいたら元気であることを鼓舞したり、世代交代のお披露目セレモニーとしての意味合いが有るのであれば それはそれで必要な事だと思うのですが、低成長時代の現代においては、それも少なかったように思います。
やはり、100万円、150万円という金額は、一般の人が、質素に、しめやかに故人を見送って上げるというような金額でないことは確かな事だと思います。
本来であればもっと簡略化しても構わない部分が有ったとしても、ご当家の方々が、これまで自分が見てきたり、体験してきた葬儀というものに対するイメージや先入観から高額な葬儀を受け入れているのだと思います。
「他家は他家、自分のところは自分のところなりに・・・」
という自分の中の思いとは別に、葬儀会社の人間が提示した最小限だと言われる提案に、
「せめて、これくらいは・・・」
という気持ちが芽生えて来て、自分自身を納得させてしまっているのでは無いかと思います。
本来、故人の事を偲び、しめやかにお見送りを執り行うのであれば、先日「NHKプロフェッショナル」で放映されていたように、故人を偲びつつ、故人の新たな旅立ちを祝福して上げれるような手作りの葬儀を執り行って上げるのが一番の方法ではないでしょうか?
故人が生きた人生を振り返りつつ、遺された人々が納得できる形で旅立てるように葬儀を組み立てて上げる事が、故人にとっての最大の供養になると思います。