孤独の音、不安の音・・・
耳では聞こえない音がいつも僕の頭の中で鳴っています。
喧騒の中に居ても、誰かと話していても、夜の静かな家の中に居ても、頭の中では「シ~ン・・・、シ~ン」、「ジィィィ・・・」っていう静寂の音がしています。
テレビの音が鳴っていても頭の中では静寂の音が鳴っています。
道を歩いていて車が横を通り過ぎた時でも、車のエンジンの音はそれほど気にならないのに、頭の中では静寂の音が鳴っています。
何をしていても、何もしていなくても頭の中にだけ響き渡る静寂の音・・・
この静寂の音とは、孤独の音? 不安の音?
子供が巣立った今、これからは一人ぼっちの生活が待っているという孤独の音?
子供の負担になりたくないという痩せ我慢の音?
一人で年老いて行くという不安の音?
孤独・・・
人をネガティブにし、深いブラックホールのように感情を渦の中に吸い込んでいきます。
妻が僕のそばに居て、仕事が終わって家に帰ると妻が待ってくれていた時には自分の心を吐き出せ、自分のの話を聞いてもらえ静寂の音は聞こえなかった・・・
それが今では誰かと言葉を交わしていても、その誰かは他人。
どうしても自分の心をガードし、感情をオブラートで包むように話してしまう。
素直に自分の気持ちが表に出せない・・・
自分の気持ちを吐き出すことが怖い・・・
人は言葉や文章を通して誰かと繋がっていることで心のバランスを取り、世間の中で自分らしく生きて行くことが出来るのかも知れないが、僕にはそんな簡単なことが出来ない。
人は誰かと話すときには話す内容を相手に伝えるために整理して話し、こうして今書いているように文章を書くときには相手が読みやすいようにと考え内容を整理して書く・・・
誰かと話すことで、文章を書くことで、心の中に溜まった泥を吐き出すことが出来るのかも知れないが、そんな簡単なことが一番難しいのかも知れないと思う。
人間には、相手から受け取る機能として、目で見る、耳で音を聞く、肌で感じる、鼻で臭う、口で味わうなどの機能が存在するが、それらは受動的なものになって来ると思う。
何も意識をしなくても意識できるかどうかは別として目は何かを見ているし、臭い所に行くと意識しなくても変な臭いが漂ってくる、また、聞いているかどうかは別として大きな爆発音などが有れば自然に耳に入ってくる。
肌で感じることも、意識しなくても冷たい・痛いなどの感覚を感じることが出来る。
それに対して、能動的に自分から発することが出来る情報は、口で話すことと文章にして相手に伝えることになると思う。
ただ、それとて話したことを聞いてくれる人が必要だし、文章にしても読んでくれる人が必要になってくる。
自分が出した言葉なり文章に心から共感してくれる人が存在しないと自分から発する事さえ躊躇してしまうようになるのではないだろうか。
そのことの繰り返しが、孤独に繋がり、静寂の音が聞こえるようになるのだと思う。
心を曝け出して自分の心を伝える相手が居ないから孤独と不安になり、静寂の音が聞こえるのではないだろうか?
心身ともに健康的に生きて行くためには、自分のすべてを掛けてでも守ってあげる人、また、自分のことを気に掛けて見守ってくれる人が必要なのでは無いだろうか?
こうして自分の心を文章に綴っている間も金属的な静寂の音が耳の奥深い所で鳴っている。
何かについて必死に考え、気持ちを相手に伝えようとしている時には静寂の音は聞こえないのに、今の僕の中には静寂の音に満ち溢れている。