私は、四方を山に囲まれた盆地に住んでいます。
家を出て、河川敷に立ち、四方を見渡せば、どちらを向いても山が見えるのですが、同じ時間帯に同じ方向の同じ山を見ていても、その時々により遠くに見える山に深い緑の色がついて見える時もあれば、色が無くグレー(ねずみ色)に見える時もあります。
周りはいつもと変わらぬ景色で、歩いている人はいつもと同じ表情で散歩しているのに、何で同じ山が違って見えるのかな???と思ってしまいます。
僕の心の浮き沈みで同じものを見ていても違って見えるのでしょうか???
山の木々にも心が有って生い茂る葉の色を変えているのでしょうか?
この11月秋の季節、心も体も元気な時に見える山は、生い茂る木々に包まれているように深い緑色に見えます。
また、違った日に将来への不安や孤独、目先の心配事で気持ちが萎えている時には山に色が無く、ねずみ色の山々がただ重なっているように見えます。
時には山々の重なりも感じなく、重なり合っている山々が一枚の写真のように見えることも有ります。
自分の不安な心を落ち着かせようとして河川敷を散歩しているのに、見える山の色で葛藤している心を持っている自分の現実に引き戻されてしまいます。
信頼できる人が傍にいる・・・
家族が居る・・・
人間、長く生きていれば良い時ばかりでなく悪い時もあり、環境に何の変化も無いのに気分の良い時も有れば落ち込んでいる時もあります。
頭では冷静を保とうと理性を働かせても、心がざわついてそれを許さず落ち着かない時があります。
人間は心に感情に左右される生き物であることを認めざるを得ません。
その感情の波の大きさを穏やかなものにしてくれるものは何なんでしょう???
たぶん・・・
心を共有してくれる人の存在・・・
心を共有してくれる人とは信頼できる家族であり、利害関係なく本音で話せる仲間や友人ではないでしょうか?
心が共有できる人は、心の波が大きく気持ちに翻弄されるような時の心の葛藤を半分にしてくれ、良い時の喜びを倍増させてくれる大きな可能性を持っています。
もちろん、離婚する夫婦も居て、仲の悪い夫婦も居ますが、離婚を決断するまでの時には夫婦協力して今の難局を乗り越えようと自分を叱咤激励するのではないでしょうか?
仲の悪い夫婦でも一緒に笑い、楽しみ、喜んで、一緒に頑張った時期も有ったのではないでしょうか?
互いに支え合いながら生きて行ける、同じ空気を吸って、同じものを見て心が共有できる家族の存在は、心豊かに生きる上で最も大切にしなければならない存在のように感じます。
心の色によって、同じものが違って見える・・・
人間って何て弱いものなのでしょう・・・
家族って何て強いものなのでしょう・・・
僕は、家族が居なくなって、今になって家族の大切さを実感しています。