誰でも上げなければ最後のセレモニー・・・葬儀
私は、この”ふれあいネット”を運営する傍ら、葬儀会社に勤務し、亡くなった方の葬儀の見積もり、及び葬儀の組み立ての仕事もしているのですが、いくつか疑問を感じながら仕事をしています。

1.葬儀会社も利益優先だから売上が大切なのは分かるが、なぜここまでして高額な葬儀にしなければならないのか?
2.葬儀を行うにあたって、社員として もちろん言葉や礼儀作法は必要だけれど それ以上に遺族・当事者の心に寄り添って上げることが必要では無いのだろうか?
3.故人を偲び、送り出してあげるセレモニーなのに葬儀自体の飾りや進行ばかりに目を向け、なぜ故人の事を思い出させてあげるプログラムが組めないのか?

そんなことを思っていると、100万円、200万円単位のお金を使って葬儀を挙げても遺族や故人のためになっているのだろうかと思ってしまいます。
もっと安価で故人を偲べる、心のこもった葬儀が有っても良いのではないかと考えてしまいます。

祭壇を豪華にする必要もなく、いくら花が好きだったとしても過度に飾り立てるのでなく故人を偲べるくらいで十分なように思います。
同じことは棺、骨壺、旅立ちの道具(白蓮床)、布団・・・全てにおいて同じように思っています。
大切なのは、故人を送るためのセレモニーだから、残された遺族がいかに故人を偲べる機会を作って上げれるかだと思っております。
それには、一般のご葬儀の場合は、セレモニーという要素は極力簡略化して主人公たる故人との接点をいかにたくさん作れるかだと思っています。

人は何かを感じる時に五感と言われるものが有ります。
視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚・・・などです。
それと並行して感覚として感じるものが有ります。
雰囲気、満足感、恐怖感、孤独感・・・などの共感覚です。
これらを組み合わせることによって質素であっても故人を偲べる葬儀が出来るのではないでしょうか?
故人となってしまった方からは味覚や臭覚、触覚などの感覚を個別で感じることは出来ませんが、故人を思い出せる演出を行ってあげることで、昔一緒に食べたものの味、昔一緒に聞いた音、昔一緒に触ったものの感触、昔一緒に手を繋いだときの時の感覚が蘇って来るのではないでしょうか・・・
盛大な葬儀で故人を送ってあげることは悪い事ではないと思いますが、安価で質素であっても本当に故人を偲んであげる葬儀を執り行わないと、団塊の世代以下の若い方たちなどの時代になればお金のかかる行事になってしまうように思います。

故人を思い起こさせてあげ、偲んであげる葬儀とは具体的にどのようなものなのでしょう?
色んな方法が考えれますが抜粋して考えてみます。
名誉、功績を称える弔辞に終始しないで、故人を本当に愛した・お世話になったからの思い出を披露する。
故人の生前の姿を写真・ビデオなど五感に訴えるものを通して披露して上げる。
写真、ビデオを編集してスライドショーとして故人を偲んであげれるもにするのは、故人の生前を思い起こすうえで効果的な手段だと思っております。
スライドショーなど故人と触れ合える機会を大きくすることで高価で盛大な祭壇や、必要以上の花、過大な装飾を省略しても、故人を偲び送り出してあげるセレモニーが行えると思っております。