家内の葬儀も終わり、葬儀の翌日には家に来ていた人々も帰ってしまいました。
身寄りの無い僕たち親子は2人きりの生活になりました。
洗濯が出来ない、子供に食事を作ってやれない、掃除が出来ない・・・
家内が亡くなった時、1歳7ヶ月の息子を抱え、何も出来ない生活が始まりました。
家の中で“ピシッ”と音がすると妻が居るような気がしました。
家の音だと分かっていてもヒヤリとしました。
子供を風呂に入れた時、子供を先に出すのに「お~い」って声を掛けた事もあります。
風で何かが揺れると妻の気配を感じました。
妻が身に付けていたものの匂いを嗅いで安心しました。
仏壇の前に座り込んで
「どうしよう・・・どうしよう・・・」と怯えました。

食事は妻がしていたのを少しでも真似ようとして子供に食べさせました。
何せ1歳7か月の幼児です。
普段、自分が普通に食べているものなど食べることが出来ません。
うどんを煮込んだり、お粥を作ったり、雑炊、白身魚、毎回同じようなものを作りましたが、夕食の半分くらいは子供を連れて外食しました。
幼児用の食事が作れなかった僕は、幼い子供を寿司屋に連れて行って茶碗蒸しを食べさせたり、特製お粥を作ってもらったりしました。
外食をしない日は、自分で買い物に行って、自分で作りました。
スーパーに行き、買い物に来ている女性を見ると、この人にはきっと暖かい家庭があるのかな?って思うようになりました。
街角で同じくらいの年齢の男性を見ると、この人には食事を作って待っていてくれる奥様が居るのかな?と思うようになりました。

子供はまだ幼かったので毎回膝の上に乗せて、スプーンで少しずつ食べさせました。
服の着替え、オムツ交換・・・育児を妻の姿を思い出しながら真似てみました。
毎日、昼寝をさせるために自転車に乗せて走り回りました。
自転車で走り回っていると子供は寝るのですが、家に帰って布団の上で昼寝をさせようとすると目を覚まし泣き始めました。
静かに寝かせても泣くから抱っこする。
抱っこすると寝るのですが、またユックリ置くと起きてしまいます。
夜、寝る時は、お腹の上で寝かし付け、寝たのを確認してから横にずらして寝かせました。
訳の分からないまま妻が亡くなった2月を過ごしました。
当時、何をしたかは殆ど覚えていません。
伝票整理などの事務仕事は、自宅に事務所を設けていたので、お腹の上で寝かせていたのを横にずらし、寝ているのを確認してから起きてしました。
毎日毎日、同じ事を繰り返しました。

子供が食事を嫌がって吐き出したり、イヤイヤなんかをした時は床に這いつくばって、食べ溢した物を拾いました。
色んなストレスと重なって、「何でこんな事ばかりしなければいけないんや~」という気持ちになり、情けなくなることも何十回、何百回もありました。
同じ年代の友達や男の人たちは、外の世界に出て、社会の中で活躍しているのに、何で自分はこんな事ばかり・・・情け無い・・・妻が生きてれば・・・といつも思っていました。
妻が生きてれば、僕だって皆と同じように外の世界で頑張れるのに!って思っていました。
そうして妻の亡くなった2月を過ごしていると、本当は4月から入園予定だった保育園から連絡があり、特別に3月から入れてもらえるようになりました。
その保育園は、1歳半を過ぎた4月から入れてもらおうと思って妻と共に下見に行っていた保育園です。
保育園に行くようになってからは、朝起こして、朝のご飯を食べさせ、着替えさせて、準備をして、9時に保育園に送って行くという生活のリズムが出来ました。
子供が保育園に行ってくれると、職場に行き仕事をして、4時になったら保育園に迎えに行くという生活でした。
帰ってきたらこれまでと同じように自転車に乗せて走り回り、家の廊下でプラレールの線路を敷いて一緒に遊び、夕食を作り、2人で食べて、片づけをして、その後は寝るまで2月までと同じ生活が待っていました。
保育園に行っている時は、保育園でお昼寝をするので家では寝ないのです。
土曜日、日曜祝日など、保育園がお休みの日は、以前と変わらず一日中子供の世話をしていました。
手探りの状態で子育てをしましたが、時には1歳半の何も出来ないと分かっている子供に対して「ちゃんとしろよ。」って怒鳴ったことも何度もあります。
まともに出来ないのは分かっているのに、幼いわが子に向かって怒鳴った自分に腹が立って、情けなくなりました。
腹が立って、怒った後は、何時も自分が情けなくなり、怒られた子供が可哀想になり、泣いている子供を見て愛おしく感じました。
ストレスの捌け口は、我慢しかありませんでしたが、時に子供に向かってしまいました。
まだ2歳にも満たない息子に対して暴言を浴びせるなどヒドイ事をしました。
僕の気分が保たれている時はまだしも普通に接してやれるのですが、感情の起伏が激しいときはダメだと分かっていても自分のイライラを抑えることが出来ませんでした。
普通に接すると言っても、僕は男だから、世の中の母親がそうするように何気ない言葉を優しく声を掛けてやるというよりは、必要最小限な事を指示する感じでした。
それで、子供が出来なかったら不満が募り、イライラし、子供に不満をぶつける感じでした。
自分の気持ちを何とか誰かに分かって欲しいと思った僕は、パソコンで同じように伴侶を亡くして苦しんでおられる方たちを探しました。
自分の友達や、親しくしている人に話すようなことはしませんでした。
自分の弱みを見せるのが嫌だから・・・
憐れんでくれるのが嫌だから・・・
慰められるのが嫌だから・・・
慰めてもらってもどうにもならないのが分かっているから・・・
悪気のない言葉でも、ちょっとしたことで僕の心が乱れるのが分かっているから・・・
他人と接することが怖かったです。

利害関係のない人々をインターネットの中で探しました。
長い間サイトを探す中で同じような伴侶を亡くした方たちが集まっているメーリングリストのサイトを見つけることが出来ました。
そのサイトの中で、自分の情けない思いを語りました。

自分の存在意義
魂の居場所
母にはなれない父親、父にはなれない母親
病死、事故死、自殺など死別のあり方による心の持ち方
お墓について
退行催眠などの治療
自殺と残された人
・・・
色んな話をしました。

話している時、頭では理屈が分かるのですが、考えたことに対して心がザワツキ、心がモヤモヤして、どうにもならない気持ちになり、塞ぎ込んだりしました。