妻の死から少しの間のことは覚えていません。
頭の中が真っ白になっていたように思います。
病院のICUから飛び出し、階段の踊り場で泣いた事は覚えています。
誰が連絡したのか分かりませんが都会に住む僕の姉がICUの前に来ており、何か言われたのは覚えておりますが「やかましい~!」と怒鳴って相手にしなかったのは覚えています。
それ以外は全く分かりません。

病院で妻の身体を綺麗にして頂き、お化粧をして頂き、僕が自分の車で妻を家に連れて帰る事に成りました。
病院の方たちは、僕が亡くなった妻を連れてどこかに行くのか、それとも変な気持ちにでもなるととでも思ったのか、
「ちゃんと家に帰るように。」
「寄り道をしないで帰るように。」
「何かあったら直ぐに病院に連絡するように。」
と何度も何度も言っていました。
万一、警察に出くわしたら怪しまれるからと死亡診断書を書いてくれました。
ちゃんと家に帰るようにと何度も諭された上で、妻を僕の車の助手席に寝かせ、自分の車で僕が運転して妻を連れて帰る事になりました。

家に帰るころには2月の夕日が沈んで、空は暗くなっていました。
妻を乗せて病院の出口を出る時から何度も、このまま妻とどこかに行きたい。
家に帰ったら葬式をされて本当に妻と別れることになってしまう。
このまま何処かに行きたい。
と何度も考えました。
でも、僕も妻も帰る家は、これまで一緒に暮らした僕の家しか無い事も分かっていました。
その家には、僕たちの子供が居ることも分かっていました。
でも、連れて帰れば葬式が待っています。
僕は同じ事を繰り返し何度も何度も思いながらユックリ、ユックリ車を走らせました。
少しでも、家に帰る時間を遅らせたかったです。
家に帰るのが怖かったです。
家に帰りたくない・・・
同じ事を考えながら、妻を乗せた車を一緒に頑張ったSC(ショッピングセンター)に向かいました。
SCの前で車を止めて中を見ると、外は暗いのにSCの中は色んな店舗の照明が明るく見えて、僕たちとは違った世界のように感じました。
そこで、少しだけ妻に語り掛け、家に連れて帰りました。
確か・・・「お母さん。」って声を掛けたように思います。

すっかり忘れていましたが、こうして当時のことを書いていると何故か細かなところまで思い出してきます。
こうして書くのが怖くなってきます。

後になって聞いた話ですが、妻が亡くなった交通事故は、僕が神戸に出張に行った2月12日に、子供が昼寝をしている間に、僕や子供やお店で働いてくれている従業員たちにバレンタインデーのチョコレートをプレゼントしようとして、自転車で10分くらいのところに有るケーキ屋さんに行く途中に事故に会ったそうです。
妻は、見通しの良い道路で、歩道を自転車で走っていたのですが、四つ角で道路を横断しようとした時に、前から走ってきたゴミ収集車が右折してきて、ぶつかって転んで、頭の後頭部を打ったらしいです。
事故を見た人によれば、最初は動こうとしたらしいのですが、直ぐに道路に倒れこんだと聞いています。
大した出血も無かったと聞いています。

妻を連れて帰るとたくさんの人が家に居ました。
妻は仏壇のある部屋に寝かされました。
僕は、妻の横で膝を抱えて、丸くなってうずくまっていました。
何もする気が起きませんでした。
妻の横にうずくまり、妻の手やホホに触れていましたが、もう冷たくなっていました。
エアコンを利かせていない座敷に寝かせた妻の横に居ましたが、2月だというのに寒さは感じませんでした。
葬式の準備などで色んな人が声を掛けて来ましたが、全て適当に反応していました。
一つだけ覚えているのは、妻の身体を棺に入れるとき、葬儀社の人が「故人の思い出になるものを少しだけ入れてください。」と言われました。
僕は妻との思い出のアルバムを取り出し、たくさんの写真を入れようとしました。
別れ離れになっても妻が寂しくないようにしてあげよう。
大切な子供の思い出をたくさん持たせてあげようと思いました。
葬儀社の方に、「余りたくさん入れないで下さい。」と言われたので、「うるさい。 好きにさせてくれ。」と、言い返したのを覚えています。
葬儀は、葬儀式場で行ったのですが、ホールに入りきらないほどの多くの人に参列してもらいました。

僕は喪主だったのですが、その時にどんな挨拶をしたのか、どんな気持ちだったのかは覚えていません。
たしか、子供を抱っこしながら挨拶しました。
「残された僕たち親子をよろしくお願いします。」と言うようなことを言ったと思うのですが、良く分かりません。
交通事故の加害者を非難するようなことは言っていません。
加害者に関わるようなことは一切話していません。
僕は喪主でしたが、妻の出棺に際しては火葬場に行く車に乗らずに、葬儀会場で見送りました。
霊柩車が出発するときに玄関で崩れ落ちたのを覚えています。
子供を抱っこしたまま、強く抱きしめて、その場にひれ伏してしまいました。
子供が暖かく感じたのを覚えています。