平成11年(1999年)2月の冬の寒い日。
私は朝早くから神戸に出張し、昼くらいに戻ってきました。
直接職場には戻らず、一旦家に帰り、妻と子供の顔を見ることにしました。
妻と子供が元気なのを確認し、子供を抱っこしました。
片手で子供を抱っこしたまま、自転車で職場に行こうと自転車のハンドルを握ると妻も追っかけてきました。
片手で抱っこしたまま自転車を転がしていたので、心配した妻が子供を取り上げに近づいて来たので妻に子供を手渡しました。

それが元気な妻を見た最後になりました。

自転車で店に行き、1時間くらい過ぎた頃、職場に警察から電話が入りました。
「○○さんですね。 奥様が事故に会われました。」
「意識レベルは200~300です。」
と言われました。
「命は大丈夫ですか?」と僕は聞きました。
「分かりません。 救急車で××病院に運びました。」
と言われたので、僕は急いで自転車で告げられた病院に向かいました。
道の端に、何日か前に降った雪が所々残っている寒い晴れた日でした。
僕は必死になって自転車のペダルを踏み病院に着きました。
心臓がドキドキと高鳴りしていたことを思い出します。
病院に着くと走って救急診療のところに行きました。
看護師さんに「警察から電話が有り、妻が事故に会ったと聞いたので来ました。」と伝えました。
そうすると、看護師さんに変わって医師の方が出てこられました。
「妻は大丈夫ですか?」と医師に向かって聞きました。

医師は、冷静な声で「可哀想ですが脳死状態で、もう戻ることはありません。」と告げました。
僕は、次の言葉が見つからず、その場にあったベンチに座り込んでしまいました。
しばらくすると妻がストレッチャーに乗せられて治療室から出てきました。
事故に遭ったというのに出血もなく、顔も身体も頭も何処も傷などなく妻は寝たままでした。
「お母さん、どうしたん?」と声を掛けて、手を触るとピクッって動いたような気がしました。
その事を医師に告げると反射反応で動いているだけで意識は有りませんと告げられました。
心の中は、ドキドキしながらどうしよう!ってって思っていました。
余りに急だったので、ドキドキし、頭の中がクルクル回るだけで変に泣き崩れたり、喚いたり、暴れたりはしませんでした。
妻は、そのまま病院内にあるICUに連れて行かれました。
僕もICUに入ることを許され、一緒にICUに行きました。
ICUのベッドで寝ている横で、小さな丸いイスに座り、妻に「どうしたん? お母さん、どうしたん?」って呟き続けました。

不思議と涙は出て来ませんでした。
医師に脳死状態だと言われても、もう生き返らないことを僕の中で認めていなかったのだと思います。

ふと、子供の事が気になりました。
当時、1週間2日だけ、午後からお手伝いさんが来てくれていたのですが、高齢だし、今日が来てくれる日かどうか分からなかったので僕の友達に電話をし、子供を友達の奥さんに預かってもらうことをお願いしました。
友達の家にも僕の子供より1ヶ月早く生まれただけの赤ちゃんが居ましたが快く引き受けてくれました。
子供のことに安心した僕は、又ICUの妻の傍で妻の手を、顔をさすりながら小声で呟き続けました。
「お母さん、お母さん・・・」
「お母さん、どうしたん?」
たまに腕とか指がピクッと動くことがあるのですが、看護師さんに話したところ、脳は死んでいるが心臓は動いているので筋肉痙攣だろうと言われました。
でも、僕が触っている時に限って動くので、フーンってな感じで聞いていました。
病院のICUには窓もなく、外の景色が見えないので今が昼か夜かも分からずに、妻の横で丸い小さなイスに座り続けました。
看護師さんに「横にならないと身体に悪いですよ。  簡易ベッドでも持って来ましょうか?」と言われましたが僕は断りました。
「何か食べないとお父さんの体が持ちませんよ。」と言われましたが、「けっこうです。」と言って断りました。

交通事故の加害者の方が、ICUまで謝罪に来られましたが、そんな謝罪を受ける気持ちにはなれなかったので僕は面会を断りました。
死後19年経った今まで一度も出会ったことがありません。

どのくらい時間が経ったのか分かりませんが、子供にお母さんを見せてやろうと思いました。
看護師さんにその旨を伝えると 「構いませんよ。」と了承してくれたので、僕は子供を預かってもらっている友達に電話をし、子供を病院に連れてきてもらいました。
友達が病院のICUの前まで子供を連れてきてくれた時、妻の事故のことが新聞に載っている事を知りました。
友達にはICUの前で待ってもらっていて、僕は子供を抱っこして、ICUの中に居るお母さんのところに連れて行きました。

僕は子供を抱っこしたまま子供に
「お母さんやで。」
「お母さんやで。」って話しました。
子供の手を妻のホッペにくっつけました。
そうすると、子供は首を横に振りました。
イヤイヤって感じで首を横に振りました。
子供は、たくさんのチューブが繋がれている妻の身体を見て、お母さんじゃないと思ったのかも知れません・・・
すると、それまで摩ってやると時々動いていていた妻の腕や指は動かなくなりました。
妻は、子供に出会えたことに安心したのかも知れません・・・
理由は分かりませんが、それ以来動くことは無くなりました。
平成11年(1999年)2月15日 妻に繋がれている心電図計と血圧計はピ~、ピ~と音を立てながらドンドン数値を下げていきました。
医師が駆けつけてきて「蘇生しますか?」と聞かれましたが、僕は「もう結構です。」と断りました。
僕一人が見守る中、心電図と血圧計は下がり続けました。
血圧計が1桁まで下がった時に、一瞬15~20になりました。
生き返るんじゃないかと思いましたが、直ぐに下がり始め、最後は心電図はモニタ画面の下で線になり、血圧計はゼロになりました。

2月15日午前11時25分でした。