僕たち夫婦は、2人で生活を始めて10年、結婚して3年が経過しましたが子供に恵まれませんでした。
妻は、僕が子供を望んでいることに気を使って子供のことは言いませんでしたし、僕も妻を追い詰めないように子供のことを言いませんでした。
でも、先にも書いたように、将来産まれてくるであろう子供の事を思って僕はエンジニアから自営業に転職しましたし、妻も看護師の仕事を辞めて僕に付いて来てくれることを選択していたので夫婦2人とも子供が欲しい気持ちに変わりは有りませんでした。
父が他界して少し落ち着いた頃に、何とか子供が欲しいから不妊治療を始めようということになりました。
治療の最初の取り組みとしては、妻の排卵予定日に合わせて排卵を誘発するホルモン注射をするというものでした。
今で言う排卵誘発剤の注射です。
このホルモン注射をした後は身体がだるくなるみたいですが、妻は毎月頑張って注射を受けてくれました。
注射の副作用で、身体が辛くだるくなるみたいですが、それでも店舗に出て頑張ってくれました。
僕は、「しんどいなら休んでおけば良い。」と何回も繰り返したのですが、それでも妻は店に出て頑張ってくれました。
その頃になると、店舗に来店してくださるお客さんも妻に出会って話すことを楽しみにしてくれる方が多くなっていましたから、妻もそのことが分かっていたのだと思います。
私は、そこまでして頑張ってくれる妻が可愛くて、愛おしくて仕方ありませんでした。
そんな日々を過ごしているある日、妻が余りに無理をしてまで頑張っているので、僕は「身体のことを考えて、もういい加減いやすめ!」と、強い口調で言いました。
そのことが切っ掛けとなり喧嘩になり、喧嘩は大きく拡大して、私は妻に「僕の忠告を聞けないなら家から出て行け!」と怒鳴ってしまいました。
それに対し、妻は、「私には出て行くところなんか無いもの! 帰る所なんか無いもの! お父さんのところしか居るところが無いもの。」と泣き崩れました。
その時、初めて妻が怒った姿を見ました。
店の売上としては多分この頃が一番良かったと思います。
辛いホルモン注射を何ヶ月も続けても妊娠する兆しが無かったので、通っていた病院の医師に他に手立ては無いものか相談しました。
病院の医師から、当時の不妊治療の先端医療として顕微鏡治療を行っていた金沢にある永遠幸マタニティクリニックを紹介して頂きました。
私たち夫婦は、その不妊治療のため毎月車で4時間掛け診察に行きました。
病院での診察によると、卵子にも精子にも単体としては異常は無いけど、互いに抗体反応があり、ホルモン注射では妊娠は難しいと告げられました。
要するに、精子と卵子の相性が悪かったみたいです。
そこから、又、3年に及ぶ長い治療が始まりました。
治療としては、2か月に1回、病院まで通院して、妻にホルモン注射をすることで卵子の成長を促すと共に排卵される卵子の数を増やし、その後良い状態の卵子を取り出し、僕の精子を顕微鏡で受精させるというものでした。
金沢までの交通費、宿泊費、治療費を合わせると当時は保険適用外だったため1回の治療でもかなりの治療費になりましたが治療を続けました。
そうして、治療を続けていると平成8年の春頃に一度妊娠しました。
しかし、残念ながら妊娠7ヶ月目で流産してしまいました。
前日まで特に変わったことも無く、エコー検査でも胎児も順調に成長を続けていたのですが、ある日の朝、突然出血して、近所の産婦人科で診察していただいたら流産していました。
エコー画像を見ても胎児の心臓は止まっていました。
妊娠中毒症には食事も含めて注意していたのですが、妊娠期間中の安定期に入る前も店に出勤して、立ち仕事を続けていたのが悪かったのかも知れません。
嘆き悲しむ妻に「世の中には子供が居ない夫婦だってたくさん居るし、これからは2人で頑張ろう。」と声を掛けたのを覚えています。
二人で慰めあい、いたわりあって、傷ついた心を癒しあったのを覚えています。
それでも子供が欲しい僕たち夫婦は、気を取り直し1ヶ月だけ間をおいて、再度治療を始めました。何回目かの治療のとき良い状態の卵子が4個取れて、それに対して顕微鏡受精を行った結果2度目の妊娠をしました。
一回受精し、妊娠したのだから、もう一回妊娠できる可能性は十分にあると考えました。
今度こそ流産という失敗をしたくないし、妻に辛い思いはさせたくないので細心の注意を払い生活しました。
むくみに気をつけ、妊娠中毒症に気をつけ生活しました。
決して無理はさせないようにしました。
食事などの家事も分担して行い、負担を掛けないようにしました。
妻は、それでもストレス発散のため店に出たいと言うので、安定期に入ってから1日に4時間までと決めて店に出ていました。
妊娠7ヶ月目までは2ヶ月に一度ずつ金沢に通い診察を受けていました。
金沢までは車で送り迎えをしましたが、出来るだけ車が揺れないように、ブレーキで振動が無いように、普通の1.5倍の時間を掛けて気を付けて走りました。
8ヶ月目になり安定してきたので、医師から遠い金沢まで通うのは大変だろうと心遣いを頂き、地元の産婦人科を紹介して貰い転院しました。
そして、とうとう、やっとの思いで出産の日を迎えました。
予定日より遅かったのか早かったのかは忘れました。
当日は出産予定日では無かったのですが朝6時半頃に破水して、朝8時頃には2人で病院に行きました。
でも、それから昼になっても、夜になっても子供は産まれてきません。
僕は病院の待合室でずっと待ち続けました。
分娩室からは唸り声だけが聞こえていました。
看護師さんは、「もう直ぐですよ。」って言ってくれますが中々産まれませんでした。
夕方になって、産婦人科の医師より、「胎児が旋回異常を起こしているため胎児の肩が妻の骨盤に引っかかり出てこれない。これ以上吸引するのは母子共に危険だから手術により取り出そう。」と言われました。
そうして、帝王切開の末、今の息子が産まれました。
子宮から取り出すのに吸引を続けていたので、頭が尖った赤ちゃんでした。
世間では、生まれたての赤ちゃんは猿みたいだと言われますが、テレビなんかで見るのと違って普通の赤ちゃんでした。
小さく、妻にそっくりの、とても可愛い赤ちゃんでした。
メチャメチャ嬉しかったです。
妻も涙を流していました。
男の子が欲しいと思っていて女の子が産まれて来たら産まれて来た子が可哀想だし、逆に女の子が欲しいと思っていて男の子だっても産まれた子が可哀想なので、僕たち夫婦はどちらでも良いと思っていました。
産婦人科の医師に「どちらか教えてやろか?」何度も言われましたが、僕たち夫婦は何度も聞くことを断りました。
でも、結局は準備のこともあるので妊娠38週目に聞きました。