これまで書いてきた「家族1~3」の過程を経て、管理者はやっと彼女と結婚式を挙げることが出来ました。
しかし、前述した通り、管理者は彼女から借りたお金を返すべく彼女の待つマンションに向かう途中に高速道路で事故を起こし、入院したままでした。
入院期間中、妻となった彼女は、僕の実家で父との生活を送りながら一日おきに病院に来てくれました。
僕が家に居ない間は実家に帰っていれば良いのですが、彼女は幼い時に母親を亡くし、父親と兄弟に育てててもらったのですが、みんな独立し自分たちの生活を守るのが精一杯で実家に帰るにも帰る家が有りませんでした。

そうこうしている内に、僕も1ヶ月ほどで退院してきました。
新婚当初から本当に辛い思いをさせてしまいました。

退院して、事故での傷も癒えぬ内に直ぐに商売に精を出したのですが、妻も一緒になって盛り上げてくれました。
看護師だった彼女が、僕と結婚をするにあたり小売りの仕事をする事には抵抗が有ったとは思いますが、妻として本当に精一杯の努力をしてくれました。
周りの人からは「良い人を見つけたね!」、「あなた(僕)には勿体ない!」と喜んでくれるような妻になりました。

僕たち夫婦は、人も羨むほど仲が良かったです。
僕たちはいつも一緒に居ました。  仕事の時も、夜遊びに行く時もいつも一緒に居ました。
また、気難しい父の相手をし、従業員にも、お客様にも、隣近所にも、すべてに対して上手に立ち振る舞ってくれました。
ただ、父への接し方には相当に苦労しているようでした。
夜になると、負けず嫌いな妻が愚痴を溢しているのを聞いて、慰めていたことを思い出します。

当時、家業の借入金は1億3000万円もあり、貯金は1000万円ほどしか無かったので、経営は非常に苦しかったのですが妻と一緒に居れることが嬉しく、生活に対して希望は捨てていませんでした。
妻が店を手伝うようになってくれ少しずつ売り上げも増えて行きました。

妻と二人三脚で頑張るようになると売上も徐々に増え、大きな赤字も出ないようになりました。
そうなると、メーカーへの支払いも少しずつ改善され、それに呼応するように資金回転も良くなり、駒が回り始めるようにメーカーの対応も良い方向に進んで行きました。
だからと言って、メーカーから良い条件で買い取るほどの資金の余力までは無いので、善意で対応してくれる商品の中から良いものを選んで一生懸命売りました。
多少良くなったと言っても1億3000万円もの借金は、簡単に返せませんし、返せるほど利益も出ていないので、色んな金融機関の借入金を回転させて当座を凌いでいくことには変わりは有りませんでした。
でも、借入金は減らないですが、増えないようになり、何とか落ち着いた生活が出来るようになりました。

家の中はというと、父のプライド、傲慢さは相変わらずで、父の顔色を伺いながら生活するのは変わっていませんでした。
夫婦2人で慰め合い、励まし合い、いたわり合って生活していた僕たちは、そんな事は気になりませんでした。
父親への対応の難しさ、大変さが僕たちの結びつきを強くしたのかも知れません・・・

僕たち夫婦は結婚式は挙げたのですが、当時お金が無かったので新婚旅行に行けませんでした。
そのため、経営の混乱が少し落ち着いた時期になって妻の実家に里帰りしようとし、そのことをある日の夕食時に父に告げました。
父に「店も少しずつ落ち着いてきたから、家内の田舎に行ってこようと思う。」と、話しました。
すると、父から「商売人の家に嫁いで来たら里帰りなんてありえない。 お前のお母さん(僕の母)が嫁いできた時もそんなことはしていない。  長い時間が過ぎてから暇を見て日帰りで行くものだ。」と言われました。
僕は「妻だって木の股から生まれたんじゃない。 妻にも実家があるのだから勝手な事を言うな!」と言い返し、父と掴み合い、殴り合い、蹴飛ばし合いの大喧嘩になりました。
妻が僕に向かって「お父さん、もういいよ。」と言ってくれたので、掴み合いの喧嘩は収束しました。
大ゲンカの挙句、僕は「今後一切、僕たち夫婦の事には口出しするな!」と啖呵を切りました。
父は売り言葉に買い言葉で「勝手にしろ。  わしは今後一切何も知らん。」と開き直りました。
その喧嘩後1週間ほどは父と口も利かず、一緒に食事することも無く過ごしました。
妻はそんな難しい僕たち親子2人の間に立って父の世話をしながら どちらの立場も尊重するように、どちらにも嫌な思いをさせないで済むように上手に立ち振る舞ってくれました。

そうした、大喧嘩の末に僕は商売の経営権を父から奪いました。
母も亡くなり、僕たち夫婦からも疎外感を感じ、気力の無くなった父は急速に衰え始め、毎日一日中寝ているような生活となりました。
平成5年の秋には肝臓癌が発見され入退院を繰り返しながら平成6年2月に亡くなりました。

父の死亡により死亡保険金を受け取りましたが、姉には相続放棄を依頼し、その殆どを借入金の返済に充てました。
借入金の返済、相続税で死亡保険金の全てを使いました。
この時点で借入金は9000万円になりました。