私は彼女の力を得てエンジニアを退職し、実家に帰ることにしましたが、彼女と離れて暮らすことは微塵も考えられなかったので一緒に住んでいた都会のマンションを早朝に出て実家に帰り、家業の店舗手伝って、夕食を父と共に食べ、父が落ち着いたらコッソリ実家を抜け出し、深夜に彼女が待つマンションに戻り、彼女と一緒の時間を過ごし、翌日には又実家に向かうというような生活を毎日していました。
そうして、何とか自己を保ちながら実家の商売も頑張ろうと精一杯努力していたのですが、実家の商売の経営は相変わらずひどいものでした。
仕入れ商品の支払いが出来ないからメーカーからの取り立ても厳しく、毎月、月の半ばになると支払の督促の電話に怯えていました。
居留守を使って逃げたことも数知れず有りますし、支払期日や支払金額など、メーカーさんと出来ない約束をして嘘つき呼ばわりされたことも何度もあります。
メーカーの担当者が店舗に訪れ「家を売れ。」、「腎臓を一つ売れ。」と罵声を浴びせられたことも数知れません。
そうして責め立てられているときは苦しく、早く逃げたいばかりでしたが、自分の中で何とか持ち応えれたのは、何としても彼女と結婚したい。そのためには、僕が居なかったら店舗を維持できないと言うことを父に分かってもらい、商売を頑張る代わりに彼女との結婚を許して貰いたいという気持ちが有ったからだと思います。
私の店は、経営不振でありながらでも老舗の部類に入る歴史を持っていたので、私の両親、特に父はプライドが高く、地元の女性と結婚させたいという希望を持っていましたが、私の彼女は遠く離れたところの出身でしたので、私が彼女と結婚したいという気持ちを持っていることに対して、好い気はしていませんでした。
当時の私は、自分の貯金ばかりか母が私に掛けてくれていた生命保険まで解約し家業の支払いに充てていましたが、商売をしているとその程度のお金は無力であるのも同じでした。
当時、私が実家の商売に注ぎ込んだお金は、個人からの借入金として扱わずに、少しでも利益が出るようにと思って雑収入として処理をしていたので、決算書上は僕のお金だということが分からないようにしていました。
それでも、少しでも、実家の商売が良いように回転するように、従業員が力を発揮できるようにと思って僕個人の全財産を店に注ぎ込んでいました。
何と言っても、その当時の借入金は1億3000万円でしたし、毎年赤字決算を繰り返していましたので焼け石に水だったのですが・・・
そのことに何も疑問を持たずに取り組めたのは、彼女と結婚したい一心だし、家業が苦しい時はそうしてでも家業を守ることが普通だと思っていたのかも知れません。
今から考えれば、まるで洗脳されたオカルト教団みたいなものです。