死別や離婚などを経験して、一人で幼い子供を育てた多くの人は、僕と同じように子供に不憫な思いをさせないようにと思って必死に頑張られたと思います。
お母さんが居ないのだからお母さんの分まで頑張ろう・・・
お父さんが居ないのだからお父さんの分まで頑張ろう・・・

父親一人が、お母さんとして頑張る・・・
母親一人が、お父さんとして頑張る・・・
僕も同じでした。
妻が居ればこんなこともやって上げていただろうな?
こんな時、妻ならどのように対応しただろうな?
母子家庭の方なら こんな時に父親が居てくれたら、しっかりと怒ってくれただろうに・・・って思ったのかも知れません。
僕は、父親だのに何とか母親の代わりもしようと思って家事の全てを自分でこなそうとしました。
形に見えるものを達成することで自分を納得させようとしていたのかも知れません。
子供の成長に沿って、洗濯、ベッドメイク、食事の準備、洗い物など、簡単な家事は子供にさせれば良かったですし、それが子供の自立に役に立つと今となっては思うのですが、当時は妻が居ればやってるだろうなと思うことは僕が行っていました。
お母さんが居ないのは可哀想だからと思い、身の回りの事まで世話をやき、両親が揃った家庭と同じようになるように頑張っていました。
自分が元気な時は苦痛も無く出来るのですが、そうでない時には無理してでも頑張ってました。
そうなるとストレスが溜まり、溜まったストレスを発散できなくなり、子供のちょっとした言動が癪に触り、ストレスが子供に向かい声を荒げたり手を出していました。
頭で考えたことを心が許してくれず、頭でこうした方が良いと分かっている事でも心がザワツキ・・・頭と心がバラバラになりました。
そのような心理状態の中で無理して頑張った挙句のストレスが子供に向かう・・・
どうにもならない日が続きました。
僕は父親なんだからお母さんのようには出来ないと分かっていても、何度も同じ失敗を繰り返しました。

頑張らなくても良い事を僕の心が許してくれ、やっと普通に無理しないで出来るようになるまでに10年の時間が掛かってしまいました。
親は子供のためにと思っても、子供は親の反応を見ていますから、子供は常に僕の顔色を見るようになりました。

誰にでも経験が有ると思いますが、良かれと思って行った結果が子供に辛い思いをさせることが有ります。
最初から無理するのを諦めて自分の本来の力量を子供に知らせるべきだと思いますが、それが難しいのも分かりますし、分かっていても出来ないのかも知れません。

僕が必要以上に無理をしなくなったのは、長い時間が経過した後、子供と子供の将来について話し合った時でした。
僕が子供に自分の思っていることを話して欲しいと問いかけても、僕の顔色を覗っているばかりの子供は貝殻のように無口になり何も話しませんでした。
僕が一歩的に問いかけ、子供が無口で過ぎて行く時間が長く続きました。
痺れを切らした僕は怒鳴ってしまい喧嘩になりました。
子供は家を飛び出し、何の連絡も有りませんでした。
喧嘩した挙句、家を飛び出し帰って来ず、警察に捜索願を出すのは何度も有ったので深夜まで警察には連絡せずに放置していました。
それでも、万一を思い町中を探し回りました。
何度も何度も、電話、LINEで連絡を取ろうとしました。
そうしていると、明け方になり子供からLINEが来ました。
「お父さんは、僕の気持ちを全然分かっていない。」
「僕は誰もが出来ないような色んな事をたくさんしてもらったけど、僕は普通の生活がしたかった。」
「僕には逃げ場がない。」
「いつも、父さんの顔色ばかりを見てるしか方法が無い。」
「僕が生きるすべは貝になることだけ・・・」
「辛いから殺して欲しい・・・」
「自分で死ぬのは怖いから、誰かに殺して欲しい・・・」
「父さんの顔色ばかりを見て生きるのは疲れた。」
という内容でした。

そんな子供の心の叫びを見て、良かれと思って行っていた僕が結果的に子供を抑え付けていたことを悟りました。
母親が子供に対するように、幼いころから無条件の愛情で見守ってやっていればと思いました。
子供を指導・しつける愛情より、信用し見守ることの大切さを学ばせてもらいました。
だからと言って、子供の意見ばかりを優先し、子供を甘やかすこととは違うと思いますが、子供を尊重し子供を見守る育て方をしていれば良かったと反省しました。

僕は、父親であり、男です。
母のような愛情は発揮できません。
母子家庭の母親にも、逆の立場として同じことが有ると思います。

父親は母親に成れないし、母親は父親には成れません。
親も一人の人間ですから、同時に違った二つの道を歩むことは出来ません。

相手が子供であっても、幼くても、子供を一人の人間として対応してやることの大切さを学ぶことが出来ました。

父は母にはなれないし、母は父にはなれません。