毎日毎日、育児に追われる生活を続けていました。
子供が1歳半の時に妻が死亡し、一人で子供を育て始めてからは毎日毎日同じことを考えていました。
逃げたい・・・
助けてほしい・・・
もう嫌だ・・・
死にたい・・・
言っていることも分からない子供、つまずき始めた商売、何とかしないとという焦り・・・
色んなネガティブな感情に支配され、一瞬先は気持ちが変わっているという心で日々を生活していました。
頭の中で、あ~した方が良い、こうした方が良いと考えても、いざそれを実行しようとすると心がザワツキ、全てを放棄したくなるような生活をしていました。
幼い子供が我儘を言うと、それに対して腹が立ち、怒鳴る・・・
商売で色んなアイデアを考えても、少し上手く行かないと諦めてしまう・・・
怒鳴り、諦めたことに対して自分自身に自虐と不安が芽生え・・・
でも、どうにもならない毎日でした。
仕事においては前を向いて進むというよりは、伝票整理など内務をすることが多くなっていました。
誰かと接したいくせに、誰かと接することが怖いからです。
優しい言葉、慰めに言葉を聞くのも辛いし、妻が亡くなったことに対する保険金の事を話す人もいて、人と接することが怖かった。
いたわりの言葉も、同情の言葉も、叱咤激励の言葉も・・・全ての言葉に対して反対の感情を抱く自分が居ました。
子供に対しては、妻が亡くなっても何とか僕が育てなければと思い、遊び・食事に努力しましたが、先ほども書いたようにキレることも多々ありました。
僕の、父としての考えを子供に強要させようとしていました。
他人に対して厳しく、辛く、本音でぶち当たるのは怖いから、一番弱いものに対して自分の感情を現していました。
一番弱いもの、それは自分の子供でした。
自分の子供に対して自分の感情をストレートにぶつけていました。
そんなことを日々の生活の中で繰り返していたから親の顔色を見るようになったのだと思います。
意見を求めても、親の反発を恐れ自分の考えを言わないようになったのだと思います。
自分の意見を言える子供に育てるには、親自身が、子供の意見を聞いて上げれる心に余裕のある親に成長しなければならないのかも知れません。