言葉とは怖いものです。
相手を気遣った言葉でも、相手を傷つけることも有る。
相手を慰めた言葉でも、相手をナーバスにさせてしまうことも有る。
相手を励ました言葉でも、相手にプレッシャーを与えることも有る。
同じ言葉でも、相手の心の状態を深く観察し、相手を理解して上で使わないと全く違った、逆の意味に取られかねないのが言葉だと思う。
こうして、文章にして言葉の難しさを概念的に語るのは簡単な事だが、相手の立場に立って、相手を傷つけないように、それでいて相手の心を開かせる言葉を使うのは大変難しいと思う。
私は20年前に伴侶である家内と死別しました。
家内は、当時1歳半だった子供を遺して事故で亡くなりました。
私は途方に暮れながら、自分の存在さえ分からない中で一人で1歳半という幼児を育てることになりました。
家内が事故で亡くなってしばらくの間は、誰も僕に掛ける言葉が見つからないようで僕に話しかける人はいませんでした。
それが、半年か一年も経つと
「だいぶ落ち着かれましたか?」
「最初のころは掛ける言葉も見つからなかったけど、少し元気になられようですね。」
「大変でしょうけど頑張ってくださいね。」
「奥さん、子供さんの事が心残りやったやろね・・・」
・・・
などなど、僕の事を気遣って色んな言葉を掛けて頂きました。
でも、そんな言葉を掛けられるたびに、それらの言葉に反発を感じていました。
落ち着くわけなんか無いだろう・・・
元気になる訳なんかないだろう。お前は普通に生活してるじゃないか・・・そんな人間に僕の気持ちなんて分かる訳ないだろう・・・
息をしてるだけでも大変なのに、これ以上何をどのように頑張れば良いんだよ・・・
子供の事が心残りやったと言われても、僕は今が精一杯でそんなことまで考える余裕はないんだよ・・・
家内は子供の事が心残りやったかも知れないけど、僕は家内の事が心残りなんだ・・・
貴方がいくら気遣うようなことを喋っても、家に帰れば普通の生活が待っているじゃないか・・・
何を語りかけられても反発する自分が居ました。
僕と同じように伴侶を亡くした人からの言葉以外はすべてに対して反発を感じました。
そんな心の動揺は家内が亡くなってから10年、15年と続きました。
気の遠くなるような時間続きました。
今になって思えば、みなさん僕の事を気に掛けて、言葉を掛けてくれたのだと思います。
でも、禍の渦中にいる人間からすれば、それらの言葉は「慰め」、「同情」、「憐れみ」のように聞こえ、それらの言葉を素直に聞き入れないことの方が多いように思います。
相手から発せられた それらの言葉に反発を感じるだけならまだ救われるのですが、同じ言葉が怒涛の波が渦巻いているような感情の中に存在する人間にとっては心を抉られ、気持ちを引き裂かれるように感じることも有ります。
労りであれ、慰めであれ、激励であれ、相手の感情に訴えかけるような言葉を発する場合には、よほど相手を理解した上で、又発した言葉に責任を持てる環境で発しないと、相手を陥れる武器になりかねないことを理解す必要があると思います。
私は、昨年末まで葬儀会社の葬儀見積もりの仕事をしていました。
その中で、夫を亡くされた方、妻を亡くされた方、親を亡くされた方の葬儀を数多く執り行って参りました。
その中で、いくら多くの葬儀に関する知識を持っていても、相手の心の中に溶け込めないような事では決して相手に心底喜んでもらうことは出来ないことを知りました。
逆に、相手の心に溶け込めることが出来れば、相手も心を開いてくれることを知りました。
では、どうすれば相手に溶け込めるような雰囲気が出せるのかと言えば、一番簡単なのは相手と同じような不幸を経験してみることですが、さすがにそれは人命に関わることなのでできません。
知識的に可能な方法としては、それらの不幸を経験し、それらの不幸を過去の出来事として振り返れるようになった人から、直接心の波についての話をしていただき、それを何回となく聞くより他に方法が無いように思います。
言葉は、自分の意見や気持ちや経験を相手に伝える非常に有効で重要な道具ですが、使い方によほど気を付けないと相手の心を切り刻んでしまう武器になりかねないことを理解した上で発する必要があると思います。