妻が亡くなって もう20年近くが過ぎようとしているのに、今でも車に乗っている時、スーパーで買い物をしている時、道を歩いている時・・・いろんな時、一人になった時にはよく「お母さん・・・」って呟いたり、心の中で叫んだりすることがある。
スーパーなどで買い物をしている時、夕食の買い物をしているミセスの人を見ると「あぁ~この人には家庭があるんだ。」と思うことが多い。
そんな時はいつも「僕だって・・・お母さんさえ居てくれたら・・・早く迎えに来てほしい。」って思ってしまう。
妻さえ居てくれたらこんな思いをしなくても済むのに・・・
道を歩いている時に車が突っ込んで来てくれることを願っている自分。
生命に関わる不可抗力があることを期待している自分。
夜寝る時に脳卒中か心臓発作で朝が来ないことを願う自分。
常に妻が迎えに来てくれることを望んでいる自分が存在する・・・
なにか自分と世間の間には、超えることのできない大きな壁が有るように感じる。
いや、自分で壁を作っているだけかもしれないが、僕と世間の隔たりは大きい。
普段は、何食わぬ顔で生活していても、心の中では世間を妬んでいる自分が存在する。
僕の事を、「今まで良く頑張ったね。」と言ってくれても、「どうせあなたは今まで普通に暮らしてきたんでしょ。」、と思ってしまい、心の壁を作っている。
「子供さんも立派に一人で大きく育てられたのだから、これからは自分が幸せになって。」と言われても、「今更自分の中にもう一人の自分を作ることなんてできない。」とネガティブに考えてしまう自分が存在する。
「何で再婚しなかったの?」と聞かれても、1歳半の子供を育てるのが精一杯だったし、他所の女性と遊んでいる間の時間 子供を見ていてくれる人なんて存在しなかった。もし、存在していたの有れば僕はきっとその女性と仲良くなっていただろうに。と、思ってしまう。
何だかんだと言ってくれる人は存在するが、世間から取り残された自分の孤独感を痛いほど感じてしまう。
家内が存在していた時は、すべての事に前向きに進めたし、失敗して帰ってきても優しい顔で迎え入れてくれ、傷ついた僕の心を解きほぐしてくれた。
家内が居てくれた時でも色んな判断に迫られ、僕はその時々に応じて色んな判断をしてきた。
でも、僕の判断がベストな判断でなく、よほどの不備が無い限り家内は僕の判断を尊重し、どんな時でも僕を応援してくれた。
そんな僕が一人ぼっちになってしまってからは、「一人であること。」を強く感じ続けている。
もう一度、家内と手を取り合って生活したい。
家内が生き返って僕のもとに帰って来てくれないのなら、僕が家内のところに行きたい。
家内の世界に行ってみて家内に出会えるかどうかは分から居ないけど、取りあえず行ってみないと会えるかどうかは分からない。
だって、あちらの世界に行ってみて誰も帰ってきた人の話は無いのだから。。。
家内が生き返ってくる可能性はゼロで、僕が会いに行って出会える可能性は不明なだけでありゼロではないのなら、僕の方から家内のところに行ってみたい。
僕だって、笑顔でいたい・・・
でも、自分から進んで妻のところに行くことは出来ない。
僕に子供さえ居なければ躊躇なく妻に出会いに行くことが出来るけど、自分で妻のもとに行った場合の子供の気持ちを考えると、自分の意志だけで妻のもとに行くことは出来ない。
それをすると、子供はきっと・・・
「僕さえ居なければ お父さんは苦しまずに済んだのに。」
「もっと、僕がお父さんの手助けを出来ていればお父さんは死ななくっても良かったのに。」
と考えることは分かっている。
僕個人としては一日も早く妻のもとに行きたいのだが、今まで育てた子供に一生残るような心のキズを残すようなことは出来ない。
ずっと昔、ある死別者のサイトに夢中になっていた頃、自殺により家族を亡くされた方が残された者の心に残る問題を話しておられました。
皆が皆、同じでは無いと思うが、その時に話を聞いていたので子供の心にキズを残すようなことは出来ません。
親を亡くすことは、自分の過去を無くすこと。
伴侶を亡くすことは、自分の現在を無くすこと。
子供を亡くすことは、自分の未来を無くすこと。
上手く言ったものです。
僕は、過去も現在も無くしてしまい、残っているのは未来しかありません。
自分の意志で自分が決めれない。
こんな日々から脱出できるのだろうか・・・