昔から”家を守る”という言葉があるが、家を守るとはどういうことなんだろうと思います。
僕は父から「何代も続いてきた商売だから歴史があり、商売をしていたからこそ生活できた。商売を継いでいくことが家を守ることになる。」と説得された結果、就職していた仕事を辞めて家業を継ぎました。
でも、その物の考え方に違和感を感じておりましたし、今も感じております。

僕もそうでしたが、今の時代でも医者の息子は医者になるというような事がいろんな分野で少なからず繰り返されています。
先祖が始めた家業を何世代にも渡り、時代の変化に対応しながら引き継いでいくことは素晴らしい事であり、困難なことであり、並大抵な努力ではできません。
とても素晴らしい事ですが、今を生きる人間の意志を犠牲にするのは如何なものかと考えています。

私は妻から「私たちが我慢して実家に帰り家業を継げば、私たちに生まれてくる子供は商売もできるし、勤めに行くこともできる。子供が自分で自分の仕事を考えた時に仕事の選択肢も増える。」
と、言われ、それに納得して私たち夫婦は実家に帰ることにしました。

でも・・・
妻は本当に僕の実家に帰って商売をしたかったのでしょうか?
高校を出て勉強していた看護師の仕事をしたかったのでは無いでしょうか?
僕と早く結婚したいがために僕の親が出した条件を甘んじて受け入れたのではないでしょうか?

それでも、自分が決めた事だからと言われれば言い返すことは出来ません。
今が満足できてないから そう思うんだ言われればそうかもしれません。

でも、過去を振り返り、その時々の決断の正当性を検証してみることは悪い事では無いと思います。
もちろん、過去を振り返る時々の状況により過去に対する評価は変わると思います。
振り返るその時々の気持ちの積み重ねが、その時の自分を映し出す鏡になっているような気がします。

私の場合の自分の事、妻のことを考えると、昔ながらに言われている 「家業を継ぐことが家を守る。」という考え方は、今を生きるもの犠牲の上に成り立っているように思います。
もちろん昭和の時代、私たちが結婚した平成の初め頃は、家業に対するそんな考え方が田舎では一般的でした。
時代と共に社会の価値は変化していきますから、その当時のことを否定するつもりはありません。
生まれた家にも個性があり、親にも個性があり、子供にも個性がある。
子供は親の背中を見て育つのだから親が自分の仕事に対して誇らしくしていたら子供も自然と親と同じ道を求めるでしょう・・・
それは、素晴らしい事です。

子供が違う道を求めた場合、子供の考えを聞き、子供との会話の中で子供に最善な道を子供自身に選ばせ、子供の背中を押してやれば良いのではないでしょうか?

常に次の時代を生きる子供が最大の力を発揮できるように応援してやり、その家に生まれた人が幸せを感じ続けれるようにすることが ”家を守る” ということだと思います。
育った時代が違うのだから親が ”良” とする価値と、子供が ”良” とする価値は違っていて当然です。
その時代に、その家で生きている人が ”この家に生まれて来て良かった” と思える環境を作っていくことが ”家を守り育てる” ことになるのだと思っています。

僕の家の商売は僕で5代目になりますが、子供は機械工学のエンジニアになりたいと言っています。
そのことについて、僕は子供自身が決めた事だから応援してやろうと思っています。
子供は自分が決めた事だから苦しい時も、辛い時も自分で責任を取れると思います。
親の僕が子供の意志に逆らって子供の将来を左右すれば、苦しい時、辛い時に子供はきっと 「お父さんがあんなことを言ったから僕は辛いんだ。 思うように生きたかった。」と考え、自分で自分の人生を切り開いて行くことから逃げてしまうような気がします。
親である僕がそうでしたから、子供もそう考える可能性は高いと思います。
どんな時も、子供自身が自分で自分の責任を取れるような考え方が出来るような大人に育ててやりたいと思っています。
僕の家が守り続けてきた小売業としての商売は僕の時代で終わりましたが、子供が誇りを持って生きて行くためには良い選択だったと思っています。